ドナルドキーン伝説   Part4

2021年10月23日

 
その日記はやはり南方で戦死した日本兵のものだったのですが、日記の最後の部分に「おそらくもう明日まで命が持たないだろう」と書かれてあり、続けて「もしもこの日記を拾った米兵がいたなら日本の住所を書いておくからこの日記をそこにいる妻に送ってはもらえないだろうか」と、なんと英語で書いてあったそうです。

キーンさんはそれを読んで号泣しました。そしてこれほど素晴らしい人が日本にいて、一兵卒としてアメリカと戦っている。キーンさんはその日記を記した見知らぬ日本兵士に人として敬意を抱き、押収されたその日記を日本に返してあげようと誓うのです。ですが、上司から厳しく咎められて読み終わった日記はすべて焼却されたそうです。

 そんな任務に当たっている頃にキーンさんは休日を利用してハワイ大学に通っていました。なんと当時のハワイ大学では「日本文学」を教えている講座があったんです。もちろん戦争中です、しかも日本は敵でハワイの真珠湾を奇襲した憎っくき国です。そんな国の文学を、そんな時期に、大学で学べるんです。こういうところにアメリカの強さが感じられますよね。

報道番組で戦争を学んだ中高生から「戦争は悪い」「核兵器はいけない」といった判を押したような感想をよく耳にします。もちろん正しいことですが、ドナルドキーン氏のような人物を通して戦争を学んだり、彼が日記を読んだときの気持ちについて考えることが間接的に戦争の本質に迫ることに繋がるのではないでしょうか?
思いもよらず、余談が授業に発展することがありますが、なかなか気持ちがいいものですね。


ドナルドキーン伝説   Part3

2021年10月19日

 キーンさんは海軍兵学校で日本語を学びながら、自分たちに日本語を教えてくれている日系一世の教員たちに感動します。母国である日本が敵国となっている状況の下、アメリカのために日本語を必死になって教えてくれているわけです。もしも自分が逆の立場であればできるだろうか?と自問するとともに日本人への尊敬の念がキーンさんに根付きます。

 そして、ついにキーンさんにハワイでの任務が下されました。ハワイの収容所にて捕虜の尋問、そして南方で収集した日本兵の日記を解読するという任務です。
 当時、アメリカ軍では兵士の日記は禁止だったそうです。なぜならばそこから次の作戦が洩れるやも知れないからです。しかし日本軍では手紙などは検閲が厳しかったそうですが日記については甘く、軍の方から兵士全員に日記帳が支給されていました。初めての任務に就いたキーンさんはハワイで日本人の日記の翻訳を担当したそうです。

 彼が解読する日記は南方などの激戦地で押収されたものですから、持ち主はすでに戦死した日本兵たちです。キーンさんは読むたびに死んでいった兵士たちの悲痛な叫びを思い涙しました。「弾丸朽ちて、友に別れを告げる」「もはやこれまで、さらば祖国よ」「食べ物がない、草根かじるのみ」など悲惨なものばかりです。そんな中でキーンさんの日本への気持ちを決定ずけるある日記との出会いが待っていました。


綺麗な校舎で校内発表会を!

2021年10月12日

10月に入り、学園では、校内発表会に向けた準備も本格化してきました。
そんな中、中学1年生は、綺麗な校舎で校内発表会を迎えるために、校内の掃除をしています。
先週、生徒たちは、校舎の中で「汚れている」と思う場所の写真をそれぞれ撮ってきました。今週からは、「汚れている」場所を綺麗にしていきます。第1弾は床掃除。スポンジを使い、廊下の黒ずんでいる部分を一生懸命こすりました。こすった部分は綺麗になったものの、汚れを落としきるにはもう少し時間と手間がかかりそうです。生徒たちが「汚れている」と思う場所はまだまだあるようですが、少しずつ綺麗にしていけたら、と思います。



アタックナンバーワン!

2021年10月11日

床が張り替えられて綺麗になった体育館で、日曜日のお昼に高校1年生のK君が同じく高校1年生のIくんに付き合ってもらってバレーのアタックの練習をしていました。K君、凄いジャンプ力です!かっこいいですね!



ドナルドキーン伝説     Part2

2021年10月10日

 その当時、仮想敵国だった日本は天皇を現人神として崇め、アジアでその勢力を一方的に広げていた時代です。ニュースで見聞きするその天皇は「MIKADO」と英訳されていたそうです。ところがキーンさんが手にした英訳本の源氏物語の中の天皇、つまり「MIKADO」は報道で語られている卑劣なリーダーではなく、恋ばかりして、詩歌をこよなく愛する文化人でした。同じ「MIKADO」であるのに性格がまったく違うことにキーンさんは戸惑ったそうです。そして日本に興味を持ったキーンさんは日本語の教科書を手に入れて日系人の方について日本語を勉強し始めます。

 まもなく1941年12月7日を迎えます。日本軍による真珠湾奇襲攻撃が起こり太平洋戦争が始まりました。このときアメリカ軍は全米から日本語を学んで諜報活動ができる兵士を育てる行動に出ます。キーンさんは渡りに船とばかりに海軍日本語学校に入学しました。

 なにしろ16歳でコロンビア大学に入学できるほどの天才ですので、米海軍日本語学校でも一番上のクラスに入り、そこで徹底的に日本語を学んだそうです。一クラス6名で日本史、会話、書き取りを学習するのですが、やはり漢字は大変だったそうです。それでもキーンさんは日本語の世界が面白くてたまらなくって休みの日にも日本語を使って暮らしていたぐらいでした。


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