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みんなのなやみ2

2012年04月18日


今号は、重松清著『みんなのなやみ2』(理論社)をご紹介します。第二弾では、「五章 親だってなやんでいる」と、親のなやみにも答えてくれています。


 


それでは、まず、一章の「自分」のこと、から。「まわりの目が気になる…」というなやみを取り上げたいと思います。同じようななやみをもっている子どもさんや、同じようななやみを子どもから相談された親御さんも多くおられるのではないでしょうか。


相談:私はまわりの目が気になることが多い方です。授業中も、ひそひそ話をしているのが聞こえてくると、自分が言われているんじゃないかとビクビクしてしまいます。また、自分がどう思われているのか気になって、堂々としていられません。このままでは、受験の時のマイナスイメージに取られてしまうんじゃないかと心配です。直すためにはどうしたらよいでしょうか。(14歳、中3、Fさん)



重松さんから:思春期だからこそ、気になってしまうことがある


これは、大なり小なり、みんなが持っているなやみです。おとなになっている僕にだって、こういう意識や気持ちがあります。


「思春期」という言葉があります。いったいこれは何だろうか。もしこの言葉を定義するとしたら、どう言えばいいだろうかとよく考えるのだけど、自分が周りから見られる存在であることを意識し始めるのが「思春期」なんじゃないかと、ぼくは思っています。中学生なんかではなくて、もっと幼い子どもであれば、「自分」というのは他人も含めた「周り」を見るだけの存在です。相手から自分がどう見られるているのかわからないし気にしない、ただ自分は見る一方の在り方をしている。その段階から、今度は、「自分だって相手に見られているのかも」ということを意識しはじめるのが思春期なんだ。自分のルックスがどんどん気になってきたり、ファッションやお化粧という外見の装いに興味がわいてきたり、そんな自分を「みんなはどう見ているのかな…」と不安にもなる。コンプレックスや自己嫌悪の感情が生まれてくるのも、みんなこの思春期からだよね。


 他人から見られていることは、プレッシャーです。常に意識して、気が抜けない。だからきつい。でもこの「きつさ」は、思春期には必ず、誰にでもついてまわる感情だから、逃げることはできないんだ。「自分が人からどう思われようと関係ないもん」という態度はたしかに堂々としているし、すごくかっこいいかもしれない。でも、その「かっこよさ」は一歩間違えれば傍若無人、他人に対する無神経さに簡単につながってしまう場合がある。


 いいんじゃないかな―――ビクビクしていたって。堂堂とすることはかっこいいけど、それよりも、ビクビクしながら必死になって考えていることの方が大切だ。それは直さなければならない弱点だけではなくて、きっと、きみのいいところも形づくっているのだと思います。Fさんの気持ちは、周りへのある種の気区切りから生じている部分があると思います。「ひとの気持ちを大切にできる」ならば、受験の面接でもアピールできるポイントじゃないかな。そう思わない?


 


 いかがでしょうか。こんなふうに答えてもらうことができたら、こうやって考えることもできるんだな、すぐに楽になるわけじゃないかもしれないけど、相談してみてよかったな、と安堵するような気がます。そして、自分で考えて、自分で迷って、自分で落ち込んだ末に、なやんでいる自分、そんな自分でもいいんじゃないかな、とゆっくりと自然に思えるようになっていくのではないかなと思いました。


 


 次号では、「五章 親だってなやんでいる」から「自分の子どもを守りたい」と、中1の娘がいじめにあっているかもしれない、親御さんからの相談をご紹介したいと思います。いじめの問題に限らず、「自分の子どもを守りたい」と思ったときに、どんな配慮が本当に子どもを助けることになるのか、といったことを考えさせてくれます。





みんなのなやみ

2012年04月17日


今号は、重松清著『みんなのなやみ』(理論社)を紹介します。10代の悩みや疑問に、直木賞作家の重松清さんが「正解」以上に豊かな「こんな考え方」で答えてくれる、心強い相談室のような著書です。


 


 では、その中から、紹介させていただきますね。


質問:「がんばる意味」


まじめに悪いことをせず、勉強しろとよく言われるけれど、不安定なこの時代、本当にそうしたからって幸せになれるんでしょうか?一生懸命がんばって意味はあるんですか?(中2・A子さん)


回答:あえて言います。がんばることそれ自体に「意味はある」と。


とても大きな問いかけです。いま、この問いかけに対して、大人が「こうなんだ」と答えを言いきることができない時代なんだ。とっても悲しくて、残念なことなんだけど、でも、それが現実だから、せいいっぱい答えようと思います。


まずね、「一生懸命がんばれば、良いことがある」というのが、ひと昔前の大前提だったの。将来良いことがあるから、今の何かを引き替えにするというのが、定番の考え方だったのです。ところが今では、受験勉強のためにすべてを犠牲にして、良い学校に入った、良い会社に就職もした、でも、二十年たったらリストラされちゃったということになっている。A子さんだけじゃなくて、僕たち大人の世代も、「これだけがんばってきたことに、果たして、意味なんてあったんだろうか」という疑問をもっているんだ。きみの質問にあった「一生懸命頑張って意味はあるんですか?」というフレーズはぼくにとってもすごくリアルに感じることなんです。でもね、リアルだけど、この発想はやめた方がいいかもしれない。このフレーズは、本当は、「一生懸命がんばることに意味はあるんですか?」にしなければいけないんだ、と思うのです。がんばることそれ自体に、意味があるのかどうかを考える、というふうに。あなたからそう質問されたら、ぼくは「意味がある」と答えたい。べつに「そういう経験をしたら、これだけ得です」なんていうつもりはない。そんな意味なんてないけど、人間としての足腰が鍛えられることだと思うの。子ども時代に、がんばったり、何かに夢中になったりする経験をしておかないで成長してしまうと、けっこうモロい大人になってしまう気がするのです。がんばらなきゃいけないときにがんばれなかったり、もっと怖いのが、がんばり方が分からない、どうがんばったらいいのか分からない、というふうになってしまう。そうなると、大人になってからが、すごくキツい人生になってしまうと思うんだ。会社への就職の際に、体育会系の運動部の学生や生徒が優遇される話をよく聞きます。これは、上下関係や礼儀ができているとか、スタミナがあるから優遇されるのではないんだ。まず、運動部だと、練習をする。練習というのは、目の前の試合のためだけの行為ではなくて、「どうして自分はこんなに走っているんだろう」ということを体ごとで考える、という経験なんだ。その経験のある人間を会社は使いたい、ということなんだよね。もっと言ってしまうと「負けを知る」ということがある。つらいことではあるけれども、このことは知っておいたほうがいい。いざ大人になってから初めて負けちゃうと、ショックが大きいんだ。一生懸命がんばることには意味があって、その「意味」には、これだけお金が儲けられるとか、こんなに得だという説明は示せないけれども、必ず、きみを人間として、丈夫な人にしてくれると思うんだ。


 それからもうひとつ。これは大人に言いたいことだし、子どもたちには謝らなくてはいけないことでもある。まじめに悪いことをせず、勉強する子どもがいる。はっきり言えば「平凡な子ども」のことだ。平凡に生きている子どもを幸せにできないような社会や時代にしてしまった大人というのは、やっぱりダメなんだ。コツコツやっている子どもの居場所がちゃんとある。僕らはそういう社会にしなくちゃならない。「かんばれ」とい言葉は、今、よくない言葉みたいに言われてしまうけれども、でも、ぼくは言い続ける。「がんばれ」って。ただし、ゆっくりでいい。ゆっくりがんばって、今のうちにたくさん「負け」を知って、その悔しさとそこから立ち直るきっかけのストックをたくさん持って、しぶとくタフな大人になってください。


 


このテーマのほかにも、「どうしようもない感情」「離婚したお母さんへ」「付き合うって、どういうこと?」といった家族や学校のなかで誰もが感じる疑問から、人には言えない深刻な相談まで、絶対的な正解は出せないけど、少しでも楽になってほしいと、重松さんが、真剣に回答をしてくれています。親子でぜひ読んでもらいたい一冊です。



特別支援教育のスタンダード 2

2012年02月23日


今号も、引き続き『通常学級での特別支援教育のスタンダード』(東京書籍)をご紹介します。前回は、どの子にも育つ環境を保障すること、そのなかで工夫する能力を伸ばし、自らハンディキャップを軽減できる子どもを育てるのが包み込むモデルだと紹介をしました。では、包み込むモデルによって、彼らの内部にどのような変化を作り出せばよいのでしょうか。子どもの内部を見ることについて、学んでいきたいと思います。


まず、自分が外部と接している部分では「支援を適切に受けられる能力」が育っている必要があります。外部の環境がいくら整っていてもそれを上手に活用できる本人の力が育っていなければその環境は役に立たないのです。我々はどんな人もなんらかの支援を受けて生きています。人は社会的な存在なのです。そして、どの人も量や質を自分で調整しながら支援を受けます。発達障害があるという事情をもっている彼らの支援の受け方は、より複雑で難しくなります。支援を受けることを、自身で適切に調整する力を身につけるためには、その方法を意識的に学んだり、身につけたりする必要があります。自分に必要なものだけを必要に応じて受けられるというのが「適切な」という意味です。この能力を身につけることが、環境が自分をダメにするのを防止します。では、そうした能力をどうやって身につけていくのでしょうか。包み込む環境には、確かに保護の側面があるのですが、その保護の目的は、あくまで「自分でできる」という実感が持てる状況作りであり、自立体験を確保することなのです。本人の中にすでに備わっている達成感を求める気持ちが、整えられた環境の中で満たされます。そんな環境の中では、色々なことをできるだけ自分でやりたいし、人から支援してもらってでも達成したくなります。結果的に、自分で行うべき部分と、人から支援を受ける部分との仕分けをせざるをえません。こうして適切に支援を受ける能力は身についていきます。


 適切な支援を受ける能力の内側にあるのは「自分でできる能力」つまり「自助能力」になります。学校教育の段階でも、発達障害のある子を対象とする教育にあっては「自助能力」の層をどんどん大きくしていくことが当然求められます。なぜなら、ここの成長が本人の中に最も大きな喜びとなり、これまでの失敗に対する癒しにもなるからです。ただし、ここで注意しておきたいのは、時に、自助能力を育てるという名目で、放り出し、突放しが行われることがあります。それによって育つのは自助能力というよりも、自己防衛能力です。非行、引きこもりなどに苦しむ子どもの中に時々見てとれる種類の「自分を守る対処能力」が引き出されるのです。こうした行動も一種の自助能力として生じるのですが、我々が育てたいのは、もっと前向きで積極的な自助能力です。人を乱暴に遠ざけたり、避けるというような方法ではなく、人とほどよく関わる中で自分を活かすような種類の自助能力です。そのためには、あくまで包み込む(無理なく参加できる)環境の中で自助能力を育てることが肝心なのです。


 自助能力の層は、彼らの内部にある能力の育成ですので、具体的にはソーシャルスキル、ライフスキルなどのスキルトレーニングなどの方法が例として挙げられます。このようなスキルトレーニングと言われるものには、その子ができないことを指摘して矯正する教育だと思われている誤解が一般にあります。しかし、スキルトレーニングはあくまで、自助能力を育成し、モデルの中心にある「ありのままの自分」を包み込む環境づくりとしてあるのです。こだわりのある自分、集中することが苦手な自分、読み書きが苦手な自分、そのままの自分を受け入れ包み込むためには、スキルをもつ必要があります。こだわりを趣味として楽しめるスキル、集中できる時間や場所を自分で作るスキル、ワープロを自由自在に使いこなすスキル、そういったスキルをトレーニングすることで、自分を否定するのではなく、あくまで守り、活かすのです。


 こうして「ありのままの自分」を最も近い位置で包み込む「自助能力」を教育段階で育てていき、そのような変化を遂げていく中で、包み込む環境はあくまで自分の一部として自然に存在するようになるでしょう。自分を活かす環境を、ひとりひとり自分に合った形でそれぞれの内部に作ることができる、そんな支援がスタンダードである学校でありたいと思います。



特別支援教育のスタンダード 1

2012年02月23日


今号は、『通常学級での特別支援教育のスタンダード』(東京書籍)をご紹介します。本書では、「包み込むモデル」によって、発達にかたよりのある子どもたちが育つ「環境を整える」という視点で作られています。この視点と考え方は、西濃学園と共通するもので、また、より良い教育のためにさらに模索をしていかなければならない基本姿勢だと思います。包み込むモデルの必要性は、「学校適応を図る」という視点からは明らかですが、単に「適応する」ということだけでなく、この環境の中で発達障害のある子がどう「育っていく」のかという視点からも大切なことだと分かっていただき、共感していただけたらと思います。


 


 発達障害のある児童生徒は学校の中で、多くの失敗状況にさらされます。そして、この過剰な失敗体験は、彼らの成長に停滞や迂回を生じせます。発達障害のある子に対しても、発達障害のない子がたどるのと同様な成長の道筋が保証される必要があります。発達障害があっても、同世代の平均的な失敗量程度に抑える環境の整備が必要です。つまり、「同じ」を確保するために「特別」な環境作りが必要なのです。一方で、この「同じ」という考えをどんどん突き詰めていくと、障害があろうがなかろうが、等しく育ちやすい環境を作れるという発想につながっていきます。包み込むモデルは発達障害のある子を含んだすべての子が育ちやすい環境を提供するモデルです。


こうした「失敗体験の軽減」という機能以外にも包み込むモデルには、包み込む環境の中で育つからこそ学べるような教育的効果があります。発達障害のある子には「ハンディキャップ」が生じます。ハンディキャップとは「社会的不利」を意味する言葉です。障害があること自体は、もちろん本人を苦しめますが、さらにそこから生じる数々の現実的な「不利」や「損」が彼らを苦しめます。ハンディキャップは自分以外の人(社会)からの支援によって大幅に減らすことができます。しかし、ハンディキャップの軽減は他者から与えられるだけでなく、自分自身でもできることなのです。発達障害という障害は他の障害と比べても本当に分かりにくくて、補聴器や眼鏡のような明確なハンディキャップ軽減法がありません。発達障害の人のハンディキャップ軽減の方法は目に見えないものになります。そして、それは本人自身が持っている「工夫をする能力」なのです。例えば、認知能力の中で記憶に障害があるLDのある子は、日常生活でいろいろな忘れ物をしてしまうかもしれません。その時に彼が「メモを取る」という「工夫」をするとハンディキャップが軽減されます。計算が苦手な子は計算機を持ち歩くことでハンディキャップが軽減します。それぞれの特徴に応じた工夫を無限にできるようになれば、障害をもっていてもハンディキャップ部分が少ない状況を作ることは可能なのです。


そこで、我々は発達障害のある子を工夫のできる子に育てたいのです。そうした能力を伸ばしてあげることが大人ができる最大のプレゼントになります。ここで、我々自身、どうやって工夫する能力を身につけてきたか考えてみてください。工夫は、実は「模倣」から始まっているのです。例えば、職場では先輩が工夫する様子を見て「あんなふうに工夫をすればいいんだ」と、その工夫内容だけでなく、その姿勢や方法を学んだのではないでしょうか。工夫する姿勢やコツは、模倣学習(専門的にいえばモデリング学習)によって、身につくのです。つまり、工夫できる子に育てるためには、周囲に「工夫するモデル」が必要になります。つまり、「包み込む環境」は「工夫であふれた環境」と言い換えることができるはずです。工夫の中で育つことが、彼らの中に工夫するという視点を育て、生涯役に立つ姿勢と能力を育てるのです。


また、包み込むモデルの説明から生じる懸念の一つに「このような守られた環境でぬくぬく育つことで厳しい社会の中で生きていけるのだろうか。社会的自立を妨げているのではないか」というものがあります。つまり「甘やかし」にはならないかという心配です。人はいつもいつも守られているわけでもなく、守られ続けられるわけでもありません。もし、社会的自立を妨げるようなことが起きているのであれば、包み込むモデルは教育モデルにはならず、子どもをダメにするモデルということになってしまいます。そこで注意すべき視点は、彼らの周囲に作られた包み込む環境が、彼らの成長・変化を生んでいるかどうかということになります。大切なのは、彼らの内部にどのような変化が生じているかということです。


では、包み込むモデルによって、彼らの内部にどのような変化を作り出せばよいのでしょうか。次号では、子どもの内部を見ることについて、学んでいきたいと思います。



ひきこもり外来4

2011年12月28日


 今号も引き続き、中垣内正和著『はじめてのひきこもり外来』(ハート出版)をご紹介します。もう一度「ひきこもりからの回復―親の10ステップ」をふり返ります。


【親のステップ1】今までのやり方が無力だったことに気づく


【親のステップ2】深刻化した要因に気づく


【親のステップ3】母性の過剰と父性の不在


【親のステップ4】第三者の存在を活用


【親のステップ5】夫婦そろっての参加に意義を見つける


【親のステップ6】親の価値観は通用しない


【親のステップ7】親が人生を楽しむことが大切


【親のステップ8】希望を抱き一喜一憂しない


今号は、続いて、


【親のステップ9】変化することの大切さ


において、距離を見直す4つのヒントについて学びたいと思います。


 


<見直し1 母親のペットにしていないか>


多くの場合に、母親と当事者の距離は、近すぎるといえます。母親は、食事を作り、ときには部屋まで運び、当事者の下着からパジャマまで洗濯をします。その結果、どうなるか。当事者の自立心は失われてしまうのです。洗濯のやり方すら知らず、カップ麺くらいしか作れない当事者が多いのですが、母親は「家事は母親の仕事」として疑問すら抱かないのです。感情不安定から問題行動を多発する「ボーダーライン」というパーソナリティ障害の原因は、日本では幼少時の過保護にあるといわれています。誤解してほしくないのですが、過保護の全てが問題だと言っているわけではありません。盲目的な過保護、すなわち相手の自立を阻害してしまうような過保護が問題なのです。俗にいえば、ペット化です。ペット化されると、その本人は、自分の感情をコントロールする力が身につきません。


 


<見直し2 父親の過剰圧力>


母親が過保護ならば、父親は過剰な圧力を子どもにかけていないかを、振り返ってみてください。とくに「世間体を気にしすぎる」父親には、過剰圧力の傾向がみられます。1のお説教でいいところを、2も3もお説教してしまう、くどくどと、かつ強圧的に、そして時には感情をむき出しにしてしまうことはありませんか。親は、それを「叱咤激励だ。」と言い訳をします。でも、親はそのつもりでも、子どもは「激励」と受け取るでしょうか。親の叱咤が、愛情表現ではなく「怒り」の表現となっていないでしょうか。


 


<見直し3 傷ついたときにはカム・アウト>


「当事者に謝るより、こちらが謝って欲しいくらいだ」と言いたい父親も多いかもしれません。過去に当事者の家庭内暴力を受けたり、応戦して暴力をふるったこと自体が屈辱的です。しかし、屈辱や恐怖などのマイナスの感情は、避けようとすればするほどに強くなる性質を持っています。こんな場合の解決法の一つが、ひきこもり外来や親の会で「告白」(カム・アウト)することです。


 


<見直し4 妻任せをやめて近付く努力を>


当事者となかなか向き合おうとしない父親は、「妻任せ」であることがほとんどです。しかし、これは「子供に近づく方法がわからない」と告白しているようなものです。父親が参加することで、家庭内の力関係は、2対1と親側が有利になります。父親の参加は、親全体が関心を持ってくれたことを意味します。当事者にとって、それは今までにない新しい展開なのです。


 


 また、いったんひきこもりから脱した当事者が、再びひきこもりに戻る「リバウンド」を防ぐための取り組みについても紹介します。


<努力1 過去の傷に触れない>


いったん出てきて再度ひきこもらせないためには、「ひきこもっていた時」より「今の生活の方が良い」と思えることが必要です。過去にこだわらず、あるがままを見据えて、「今ここから」スタートすることです。


<努力2 強制的に対応した場合は特に注意>


最もリバウンドが多いケースは、強制的に施設入所がなされ、強制的に「労働・ボランティア」に従事させられた場合です。


<努力3 当事者を常に見守る姿勢>


親に必要なことは、当事者が家を出て、外来やNPOに参加したことで安心することなく、当事者を見守り続けることです。


 


【親のステップ10】経験を伝える大切さを知る


最後のステップになります。回復した経験を、いまだ苦しむ親や当事者に伝え、市民社会の一員であることを実感することです。引きこもりは、時代と社会が閉塞して生きづらく、本来の人間性と相反するものであるという訴えです。若者によって問題提起された「ひきこもり問題」の意味を解して解決に取り組むことは、共同社会を生き生きとした、住みやすい成熟社会へと一歩進めることになるのです。



  • 過日より充足していました男子寮ですが、空き部屋の調整ができましたので、相談させていただきました方から、ご希望があれば順に九月十三日(水)以降から受け入れをさせていただきます。

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