先日ホテルで宿泊した時のことです。自分の部屋に戻ろうとしてエレベーターに乗り扉が閉まりつつの時です。年老いた紳士が手を挙げて待って下さいとのしぐさが見えました。私は慌てて「開く」のボタンを押し老紳士をエレベーターに迎い入れました。老紳士は「すみません」と言われました。ここまではよくあることだと思います。しかし老紳士は続けて「ありがとうございます」と言われました。私はなんとなくこころが温かくなるのを感じずにはおれませんでした。そのあとゆっくり考えて見ますと、最初の「すみません」は老紳士が遅れてエレベーターに乗った行為の「謝罪」で、あとからの「ありがとうございます」は感謝の気持ちを表されたのだと思いました。普通は「すみません」だけの言葉かけがほとんどだと思いますが感謝の気持ちの「ありがとうございます」の言葉が自然に発せられるということはあの時の老紳士はこころ温かい人格者であったと考えさせられました。
さわやかな一日の始まり
2016年04月24日
早朝3階のトイレを掃除していると高校3年生のS君が「おはようございます。手伝いましょうか。」と声を掛けてくれました。「ありがとう。無理しなくていいよ。君が手伝ってもいいよ、と言ってくれたことは、先生はすごく嬉しいよ。」と返事しました。彼は立ち去りましたが、ちょっと手伝ってよとお願いすればよかったのかな・・・と思いながら掃除を終え
職員室に戻り、階段の清掃をしょうとしていたら、再び彼がやってきました。「早く起きちゃって、何もすることがんいんですよ。」との彼の言葉。「じゃ、今から階段を掃くんだけれど手伝ってくれる ? 」との問いかけに快く「はい」との返事でした。彼は丁寧に階段を不自由な足を気にかけることなく掃いてくれました。また一人清掃の仲間が増えたこと、そして彼のさわやかさを私は全身で受け止めることができた新しい一日の朝でした。
我々の「くに」はどこかで道を間違えたのだろうか ?
2016年04月19日
本日の中日新聞の朝刊に「避難者宅 空き巣続発」との記事が掲載されていました。記事には、被災して留守になった民家などを狙った空き巣や事務所荒らしの被害が熊本県内で相次いでいる。16日未明から18日午前7時まで被害が7件発生しいてるとのこと。また被災者から「避難していて泥棒の警戒をしなければならないんて・・・」とのやるせない気持ちも紹介されています。被災者の方々は過酷な避難生活で大変な思いを強いられているのに・・許せない気持ちが込み上げてきます。私達の祖先からは他人が困っている時、己を犠牲にしてまで手を差し伸べてきたのだという話をいくつか伝えられています。物が豊かなこの時代に人の不幸にかこつけて略奪する行為は・・・いや豊かになったから「こころ」が貧弱になってしまったのか。・・・なんとなく憂鬱な気持ちで新聞を読んだ朝でした。