父親の背中 ( 3 )

2015年06月21日

小学校3 ~ 4年生の頃だったと思います。父と映画を観に行った時、戦争シーンで兵隊が死んでいく時「天皇陛下万歳」と言っていました。私は父にみんなそう言って死んで逝ったの ? と聞くと、父さんは衛生兵だったから、戦闘の最前線のことは分からないけれど、野戦病院に負傷され運ばれた兵隊さんは亡くなる時、「小さい声で、お母さん・お母さん」と言って亡くなって逝かれた。と話してくれた。当時は母親の深い愛情に気が付かない頃でしたが、後になり、眼の見えない母親を残して戦地に送り出された父の思いは複雑なものであったとしみじみと考えさせられました。
 学園は自然に恵まれた藤橋地区にありますが、学園のすぐ側に「忠魂碑」があり、毎日、愛犬ゴンとの散歩のコースになっております。このムラから召集され戦地に赴き無念にも尊い命を落とさざるを得なかったの方々の思いは如何なものあったろうか ? きっと家族のこと、故郷のことを胸に秘め複雑な思いであったことと思います。この碑の前を通る度に戦争という悲惨な経験して復員してきた父親の「生きる強さ」を感じると共に、犠牲になられた方々の御霊に深々と頭を下げ、現在の幸せを感じております。



愛犬 ゴン

2015年06月13日

早朝と夕方愛犬ゴンの散歩をしています。散歩後まず水をやります。ゴンは喜び、のどを潤し、その後満足そうに私に寄り添ってきます。昨日雨上がり後に散歩し校庭に着こうとした時、毎度の事ですが水たまりの水を飲もうとしました。毎回散歩後きれいな(?)水を飲ませているのに我慢が出来ないのでしょう。
 先日小児科の先生とお話しをした時、ゲーム・スマホを毎日長時間すると中毒になるので、ゲームとは違った楽しみを経験する重要性についてのお話しを伺いました。スマホを離すことが出来ない。スマホがないとイライラしてしまう。そのような傾向は残念ですが学園の子ども達にも見られます。先日電車に乗った時、駅に到着する前、スマホを見ながらのホームの歩行はお止め下さいとのアナウンスが車内に流れました。フット小児科の先生の言葉を思い出しました。ひょっとすると私どもの国のかなりの多くが、中毒症状を持っているのではないでしょうか。愛犬ゴンのように自制がきかず、感情のおもむくままの行為は何か空恐ろしさを感じます。学園生にはスマホに囚われることなく、文明の利器として使いこなせるヒトになってなって欲しいと言い続けていきたいと思い散歩を終えました。



人を思う深い心

2015年05月19日

本日の中日新聞の「中日春秋」に大正7年当時大阪府知事であった林市蔵氏のことが書いてありました。この年の晩秋の夕暮れ、氏は理髪店で整髪中、ふと鏡に映っている光景に目をとめられた。ぼろぼろの浴衣の女性が乳児を背負い、二人の幼子の手を引き新聞をうり歩いている。知事は近くの交番に寄り、この母子について調べるように命じた。数日後に届いた報告書には、稼ぎ頭が病で働けなくなって一家は困窮し、寝具すらないことが書かれていた。調べた警察官もその暮らしぶりに胸を痛めたのか、報告書には涙がにじんだような跡があったそうだ。・・・と書かれていました。林市蔵氏は熊本県の下級武士の長男に生まれ、5歳の時父親が亡くなられた。その後お母さんの巻きたばこの内職でかろうじて生活ができ、あちこちの書生になって学資を稼ぎ、苦労して東京帝国大学を卒業されたといいます。
 私は、林市蔵氏の温かい心と、調査した警察官が涙ぐんで報告書を作成されたことに深い感動を覚えました。学園の子ども達も他人の苦しみが心底共感できる人になって欲しいと願っております。


父親の背中 (2)

2015年05月16日

私が大学2年生の時、父は多分自分から希望したのだと思いますが名古屋に転勤してきました。当時私の大学では学生運動が盛んで毎年機動隊が導入されておりました。官舎での二人の生活の時、父は繰り返し、お前はゲバ棒を持っていないだろうな? と聞かれたものです。私は彼らの何人かとは話が出来る関係でしたが、彼らの行動には否定的でした。しかし、父からそのように問いただされると反感が先に立ち、父に素直な返答をしなかったことが思い出されます。
 二年後父は定年退職となり、「おわり、なごや」と言って郷里の金沢に帰っていきました。翌年、以前共に働いていた方々から呼ばれ名古屋にやって来て楽しいひと時を過ごしたようです。金沢に帰る時、私は父を名古屋駅まで送りにいった時、父と共に働いて見えた方が何人も見送りにきていただきました。列車がホームから遠ざかった後、皆さんに、父に対する感謝の気持ち一杯で深々とお辞儀をしたのを思い出します。その時、私は現職の課長ならいざ知らず、退職した課長を見送って頂けることを目の当たりにし、父の生き様の後ろ姿を見たような気がしました。父に何度となく反抗しましたが、反抗できる父親がいて、見守ってくれた父親への思いを偲んでいるこの頃です。



父親の背中 ( 1 )

2015年05月14日

そろそろ人生のまとめに入ろうとしているこの頃、父のことをフット思い出します。幼い頃父は自転車の後ろに私を乗せ商店街に買い物に連れて行ってくれました。その時不思議なことに、魚屋さんが二軒あるのに、父は片方の店でしか買いませんでした。私から見ればもう一つの店は大きくきれいな感じがしていました。ある時父に聞きますと、「あの店の主人は父さんが戦地に行っている時隣りの班の班長で、きらいなんだ」、なぜと問いただすと「当番兵であったある日、自分の班の班長より、隣りの班長から、墨と硯を借りてこいと命令された」隣りの班長の所へいき「〇〇班長殿より、墨と硯をお借りしてくるようにと命令されました。お貸し下さい」とお願いしたところ、班長は「聞こえん、もっと大きな声で言え」と言われ、どなるような声で何回か話しても「聞こえん」の繰り返しで、「聞こえんものには話にならない」と言いながら一発殴られたそうです。自分の班長に報告すると「役に立たない奴」といってまたどなられたとのことです。父は命をかけて戦地にきている兵隊にこのような仕打ちをする内務班では、日本は負けると感じたようです。そして、絶対に家へ帰る、そのため班長から薦められている下士官への試験は受けず、一兵として我慢し日本へ帰ると決意したとのことです。敗戦になれば復員は兵隊からだと考えたようです。そのような話をしてくれ、父は「こだわるようだが、あの店には行かない」と言いました。幼いながら何か父の一面を見せられたのですが、どうもその傾向は自分にもあるなぁ・・・と苦笑いしています。・・・


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